【詩的哲学】数字評価に飲まれやすい人とそうじゃない人

2025年10月27日

[O001]雑談

t f B! P L

たまにはこういうお題の記事を書いてみても良いんじゃないか?と思ったので書いてみる。


私はTwitter(現𝕏)で、何人かの
  • かつてドラクエ10のブロガーや配信者として名を馳せていた人
  • 今も細々とドラクエ10の配信やブログの書き手として活動を続けている人
をフォローしては、ドラクエ10内の先人の知恵として借りたり、その人たちが発信してきた情報を扱うコンテンツを「情報そのものの価値」または「その人が抱く価値観の分析」として眺めたりしている。

正直おすすめはしないよ! このやり方は確実に「自分と他人をマイナスイメージで比較しない」という前提がないと、「この人はうまく行ってるのに何で俺は駄目なんだ!?」ってなるからね!

(いやホント、マジで)


で、だ。

そんな人たちを見てきた中で、ほぼ確実に(特に長く続いている人の)共通点として見受けられるのが、

どこかでバズった時点(要は過去の最高PV数)での過去の自分に自己像が重なってしまっていて、その当時の栄光を取り戻そうと固執していること。


言っちゃえば、
  • たまたまその時の世界の話題としてウケたもの
  • たまたま自分の価値観と世間の話題が噛み合ったもの
  • たまたま同意を示してくれた人が伝聞として広めてくれたもの
ここに、自分の価値=自分の満たしたい承認欲求=バズった数字という図式が噛み合ったとき、視聴者や読者にとって応援したかった誰かは承認欲求モンスターになり果てるんじゃないかなって私は思っています。

具体的に言うと、今や死語かもしれないけど、「アルファツイッタラー」とか典型例だと思うんだよね。
外から見ると「バズの最先端にいるスゴい人(他者視点では尊敬、嫌悪、または嫉妬の表現を含む総括)」だけど、中の人は「常にバズを狙う投稿をし続けるという重責を抱える人」になる。

それが自己表現のひとつとして受け止めて切れているうちはいいけど、その姿勢に対して「苦しいな」って感じたとき、多分それは自分じゃなくて役割に落ちてると思うんだ。


多かれ少なかれ、かつての栄光にしがみついている傾向にある人は、今一度「自分が発信しようと思ったその原点は何だったか?」を自分に問い直すと良いんじゃないかなって思いながら見ています。

それを思い出したとき、「かつて応援したいと思ってくれた人たち」が好いてくれた自分に立ち返れると思う。

頑張れ発信者(ブロガー)。頑張れクリエイター(配信者)。

数字は甘美な呪いだぞ!




いつもどおりの意味不明な記事なので、本記事のブログランキングへのバナーはリンクごと撤去します!


追記:こういう温度感が好きな方がもしいらっしゃったら、専用の語り場を作ったので「変なこと言ってるわ」と眺めに来てください。

つくるひとの思考録(別窓で開きます)




ちなみに一番は、たかし(安西さん)またはスクエニの上層部に届いて欲しいなーとか思ってる。

課金を煽ればユーザーはついてきてくれる! 週課を増やせばユーザーは離れられなくなる!

結果ドラクエ10は安泰!!


じゃねーのよ。その中に「選ぶ楽しみ」がなかったら、ただただ「苦痛な強制労働を増やされているだけ」なのよ。


その対抗策として、筆者は「ミルドラースが来たら最強の魔剣士と最強の海賊を作ってあそんでやるぜェ!」をやってますね。はい。そのためにノクゼリアとコインボスを今やってる。

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